今、気になっていることは「ガーデニング」ですがこんなニュースがあります。

ゲイムマンの「レトロゲームが大好きだ」:連載第79回は、「リアルサウンド 風のリグレット」(ワープ)。
"ゲーム界の風雲児"こと飯野賢治氏の作品です。
最大の特徴は、ゲーム画面が一切なく、音だけでゲームが進行すること。
でも、この記事まで画面写真がなかったら味気ないので、あえてこのゲームの画面写真を、想像で勝手に作ってみました。
【画像:勝手に作ってみた「風のリグレット」の画面写真】
●飯野賢治氏に憧れた
前回、「チョロQ」の記事の中で、「チョロQ HG2」の挿入歌を歌っていたピンクサーディンについて書いたが、先日、ついにライブでその歌声を聴くことができた。
柏駅東口のダブルデッキで行なわれた"音街かしわ"というイベントで、ストリートミュージシャンのコンテストが行なわれていて、その決勝戦にピンクサーディンが出場していたのだ。
ボーカル・TSURUさんのパフォーマンスというか、お客さんを引きつける力がすごかった。
「チョロQ HG2」で流れる、「爪痕」と「Blue Sky」を生で聴けて感動。
特に、ゲーム内では夜にしか聞けなかった「Blue Sky」を、初めて青空の下で聴くことができて良かった。
さて今回は、青空つながりで、パッケージやマニュアルに青空の写真が使われていた、「リアルサウンド 風のリグレット」(ワープ)を取り上げてみよう。
1990年代後半、最も目立つ活動をしていたゲームデザイナーが、株式会社ワープ代表取締役社長(当時)、"ゲーム界の風雲児"こと飯野賢治氏である。
飯野氏はまさに、16ビットから32ビットへ移行するゲーム界の、変化を象徴する人物だった。
3DOで発売され、後にセガサターンやプレイステーションに移植された「Dの食卓」は、従来のゲームとは異なり、ポリゴンを生かして映画的な映像を作り、ゲームにまったく新しい表現方法を取り入れた。
「Dの食卓」が作った映画的表現は、現代の数々のゲームに影響を与えているといえよう。
ゲームのインパクトも強烈だったが、ある意味もっと強烈なインパクトを持っていたのが飯野氏自身。
大柄で長髪で服は黒ずくめという、今までゲーム業界にはいなかったタイプの風貌。
(プロレスラーの高野拳磁選手や冬木弘道選手に似ていると思ったのはわたしだけだろうか?)
ゲーム専門誌への露出でゲームファンに認知された後、「エネミー・ゼロ」のテレビCMに自ら出演して、ゲームファン以外の人々にも知られるようになる。
飯野氏は1970年生まれ。
当時、1950・60年代生まれの有名ゲームデザイナーやライターは多かったが、70年代生まれは少なかった。
要するに、上がつかえている世代だったのだ。
ちなみにわたしは飯野氏より1歳だけ年下だったが、飯野氏が「Dの食卓」をリリースしていた頃は、某ゲームメーカーで異動に次ぐ異動に見舞われ、すっかりくすぶっていた(まあ、わたしがあの会社で役に立つような人間ではなかったということなんだけど)。
だから、同世代の希望の星として、飯野氏の活躍には期待していた。
後に"氷河期世代"や"ロストジェネレーション"などと呼ばれるほど、就職困難に直面した世代で、わたしも正直、勤めた会社は第6志望だった。
そんな状況だったから、自分で会社を興し、ゲーム界で派手に活動していた飯野氏に、憧れを抱いていたのだ。
「Dの食卓」「エネミー・ゼロ」をヒットさせた飯野氏が、テレビゲーム界の常識を覆す、意欲的な作品を作り上げた。
それが「リアルサウンド」シリーズ第1弾、「風のリグレット」だ。
●テレビを使わないテレビゲーム
主人公・野々村博司は大学生。
上京して、小学生時代の初恋の女の子・桜井泉水(いずみ)と再会し、つき合っている。
博司は当時、女の子と"駆け落ち"の約束をした。
彼女が2学期に転校してしまうことを知り、永遠に夏休みが終わらないよう"駆け落ち"することに決めたのだ。
しかし、待ち合わせ場所の時計台に現れなかった彼女は、2学期が始まると転校してしまっていた。
博司が泉水に、当時なぜ時計台に来なかったのか聞いても、泉水は「忘れちゃった」とはぐらかす。
ある日、博司は泉水の勤める会社の面接を受けることになり、2人で地下鉄に乗って会社へ向かっていた。
ところが彼女は突然、何かを思い出したように電車を降り、そのまま博司の前から姿を消してしまうのだった......。
1997年に発売されたセガサターン用ソフト「リアルサウンド 風のリグレット」は、従来の枠組みで分類すれば、アドベンチャーゲームということになるだろう。
ストーリーの途中に分岐があり、プレイヤーがどれを選ぶかによって物語の内容が変わる。
最大の特徴は、映像が一切なく、音だけで進行することだ。
登場人物の会話と、主人公・博司のモノローグで物語は進む。
分岐点に来るとチャイムが鳴って、博司のセリフが2つか3つ提示される(もちろんこれも音声で)。
プレイヤーは方向キーでセリフを選んで、Aボタンで決定するのだ。
「Dの食卓」で映像表現へのこだわりを見せた飯野氏だが、逆に"映像を見せないこと"へのこだわりもあったようだ。
「エネミー・ゼロ」では、敵が見えないことによる怖さの演出も試みている。
キャストがやたら豪華なことも当時話題となった。
野々村博司役が柏原崇さん。
高村菜々役が菅野美穂さん。
桜井泉水役は篠原涼子さんである。
今や「理想の上司ランキング」で女性2位と3位に入る女優さんが、メインキャストを演じていたのだ(2009年・明治安田生命調べ:ちなみに1位は真矢みきさん)。
ほかに裕木奈江さんや前田愛さんも出演していた。
脚本は「東京ラブストーリー」の脚本家だった坂元裕二氏。
後に「愛し君へ」、フジテレビ版「西遊記」、映画版「世界の中心で、愛をさけぶ」など数々の有名作品を手掛けた。
音楽はムーンライダーズの鈴木慶一氏。
ゲーム関連では「MOTHER」(任天堂)のBGMでも有名。
またエンディングには、矢野顕子さんの「ひとつだけ」という曲が使われている。
このように、飯野氏がそうそうたる布陣を敷いて作り上げた「風のリグレット」だったが、「Dの食卓」「エネミー・ゼロ」に比べると、売り上げは芳しくなかったようだ。
もしかしたら、画面写真がないために、ゲーム雑誌の記事で取り上げられても印象が薄かったのかもしれない。
ということは、今わたしが書いているこの記事も、印象が薄くなる危険性がある。
それはまずい。
そこで、ゲーム中に出てくる風景や建物に近いイメージの写真を撮って、「風のリグレット」の画面写真を、勝手に作ってみることにした。
※勝手に作った画面写真を含む記事
→http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0910/16/news014.html
●外苑前から始まる物語
まずは泉水が失踪した場所。
これはゲーム中で「外苑前駅」とはっきり述べられている。
地下鉄を突然降りた泉水を、博司が追いかけるも見失う。
博司はその後、直前の駅(表参道と思われる)から同じ電車に乗っていた女の子(菜々)を見つけ、横断歩道の中央分離帯で言葉を交わす。
駅の1~3番出口の前にある外苑前交差点に行ってみると、中央分離帯はあるが意外に細く、現在は街路樹もない。
赤信号の中、ここで大人2人が立って話すのは、けっこう大変だったろうと思う。
菜々の飼ってるツグミのライカも、よくひかれずに生きてたもんだ。
ただ、外苑前駅4a出口から少し歩いて、赤坂消防署入口交差点に行った可能性もある。
こちらの方が中央分離帯は広い。
もし博司と泉水と菜々が電車の後ろの方に乗っていたら1~3番出口、前の方だったら4a出口の可能性が高い。
泉水の家は、当時表参道にあった同潤会青山アパートがイメージに近い。
外苑前からそこそこ近いし、2部屋続きのベランダもある。
同潤会アパートは2003年、老朽化のため取り壊されたが、跡地に建てられた表参道ヒルズに、この建物を模した一画が設けられている。
その近くで考えると、博司が泉水の情報を聞くため、友人の三井と会ったパチンコ屋は、渋谷のマルハンパチンコタワーかもしれない。
1995年、渋谷のONE-OH-NINEに出店し、パチンコ店らしくないおしゃれな内装で、若いカップルに人気だった。
今では全国のロードサイドに、凝った内装の大型パチンコ店が数多くあるが、マルハンパチンコタワーはそのさきがけといえる。
ちなみに現在、パチンコタワーの1階はクラブセガ渋谷になっているが、そこにあったコーラの自動販売機が偶然、飯野賢治氏の開発したCmodeシステムに対応したタイプだった。
飯野氏が描いたウサギの絵が、ボタンについていた。
●夜行列車「かえで」考
博司と菜々は、泉水が里帰りしていると推測。
夜行特急「かえで」に乗って、故郷の"あくみ町"へ向かう。
さて、この"あくみ町"のモデルはどこだろうか? 名前からすると熱海っぽいのだが。
大きなヒントとなるのが、後半の「紀伊半島より上陸」する台風が「直撃しそう」という展開。
この台風が来るときに、このゲームをプレイした人なら絶対覚えているはずの電波ソング、「いちなななななないちななな」の歌(正式タイトル:天気予報の歌)が流れるのだが、それは置いといて。
ともかくこれで、あくみ町が紀伊半島もしくはその周辺らしいことが分かる。
では次に、そのあくみ町へ向かう特急「かえで」について考えてみよう。
(かなりマニアックな考察になるので、退屈だったら飛ばしてください)
「かえで」という名の優等列車は実在しない。
どうやら過去にも存在しなかったようだ。
その「かえで」号、東京を11時33分に発車する。
ここで問題になるのは、この"11時33分"は午前か午後かということ。
これを検証するために、鉄道博物館のライブラリーへ行って、このゲームが発売された1997年7月と、その前年・1996年の7月のダイヤを、時刻表で調べてみた。
当時の東京発寝台特急は、東京駅を発車するのが早い順に、富士(南宮崎行き)、さくら(長崎・佐世保行き)、はやぶさ(西鹿児島行き)、出雲1号(浜田行き)、あさかぜ(下関行き)、瀬戸(高松行き)、出雲3号(出雲市行き)。
もっとも早い富士でも東京発が午後4時56分なので、かえでが午前11時33分発というのは考えにくい。
一方、もっとも遅い出雲3号は東京発午後9時16分。
かえでが午後11時33分発とすると、これよりかなり遅いことになる。
ただ、特急は出雲3号で終わりだが、その後に夜行急行の銀河(大阪行き)がある。
銀河は東京発午後11時。
この33分後だから、あながちあり得なくもない。
ちなみに、かえでの発車と同時刻に、夜行快速のムーンライトながらが入線する。
ながらの発車は11時43分。
ゲーム内での時刻表の表記や駅構内アナウンスが"23時33分"ではなく"11時33分"なのは不自然だが、こうして実際の時刻表と照らし合わせて考えてみると、やはり午後11時33分発とするのが妥当だろう。
出発してすぐに博司は寝てしまうし。
とすると、かえではどこへ向かって走るのだろうか? 紀伊半島周辺を通るということは、名古屋から関西本線を経由して紀勢本線を回るルートか、または岡山から瀬戸大橋線に入って、四国東部へ向かうルートが考えられる。
後者のルートだと特急瀬戸と重なるが、瀬戸より2時間33分も遅く発車するのは不自然だ。
一方、前者はかつて存在した特急紀伊に近いルートになる。
紀伊は1984年(昭和59年)に廃止されたので、直前の夏にあたる、1983年7月の時刻表でダイヤを調べてみた。
特急紀伊の東京発は午後9時。
紀伊半島に入って最初の停車駅・亀山に着くのが午前3時13分。
終点の紀伊勝浦でも7時22分で、ちょっと早すぎる感じがする。
これを東京発午後11時33分とし、あとの駅の到着時刻もすべて2時間33分遅くしたらどうだろう。
亀山5時46分、津6時16分、松阪6時35分、多気6時44分、紀伊長島7時50分、尾鷲8時18分、熊野市8時57分、新宮9時31分、那智9時51分、紀伊勝浦9時55分と、紀伊半島東部の主要都市が有効時間帯に収まる。
これこそ特急かえでのダイヤにふさわしい。
東京駅の13番線は当時、東北・上越新幹線のホームだったとか(寝台特急が13番線から出るのは上野駅)、沖縄からしか見えないはずの南十字星があくみ町から見えるとか(北端の星だけは、宇和島や熊本あたりでも見られるらしい)、いろいろ問題はあるが目をつぶろう。
なお、紀伊の東京-静岡間の所要時間は、34年経った1997年の寝台特急とだいたい同じ2時間半。
また、紀伊は名古屋で電気機関車EF65からディーゼル機関車DD51への交換があったが、紀勢本線の新宮以東は今でも非電化なので、1997年に存在したとしても、やはりこの機関車交換は行なわれていただろう。
あと、あらためて車内のシーンを聴き直してみると、菜々役が菅野美穂さんなので、寝台特急ではなくてチオビタドリンクのCMで菅野さんが乗ってた、ひたちなか海浜鉄道の気動車をつい思い浮かべてしまった。
●博司のなつやすみ
あくみ町駅の駅舎は瓦屋根。
寝台特急が止まるので、ある程度大きな駅だろう。
紀伊や東四国の中では、熊野市駅がイメージに近い気がする。
熊野市駅だとちょっと大きすぎると思われる方は、徳島市の蔵本駅ではいかがだろうか? 両駅の写真を並べてみたので、お好きな方を選んでいただきたい。
それから、終盤でとんでもないことが起きる駅のベンチ。
熊野市も蔵本もベンチが新しすぎるので、紀州鉄道の紀伊御坊駅で撮ったベンチの写真を載せてみた。
駅前の風景が細かく描写されている。
駅の周りにスーパーや商店街があり、駅前からは製紙工場の煙突が見える。
わたしの故郷の駅前がまさにこういう風景なのだが、紀伊から遠く離れた北海道の苫小牧なので、紀伊とはだいぶ風景が違うはず。
紀伊半島にある製紙工場を調べてみたところ、鵜殿(うどの)駅のそばにあるようだ。
でも鵜殿には特急が止まらないので、隣の新宮から見てみた。
......駅前からは見えない。
熊野川のほとりまで歩いてようやく見えたが、今度は街が見えない。
あと、前述の蔵本駅の近くにも製紙工場がある。
しかし実際に行ってみたら、車窓から工場は見えたものの、煙突がなかった。
あくみ町の町なかには、真っ赤なバスが走っている。
そんなバスがどこかにないか探したところ、たまたま新宮で見かけた。
「風のリグレット」の発売当時、こんな派手な色のバスは珍しかっただろうが、ラッピング広告が普及した今では、全国各地でいろんな色のバスや電車が見られるようになった。
博司と菜々は海水浴場へ行く(途中で選んだ選択肢によっては、来ないこともある。
わたしも1回めのプレイではここへ行けなかった)。
最近できた海水浴場だが、人がほとんどいない。
海の家はある。
わたしは最初、南紀白浜の白良浜(しららはま)をこの海水浴場に見立てようと思ったのだが、白良浜はきれいだし、シーズンオフでも人がいるし、大きなホテルが林立している。
あくみ町の海水浴場とは、かなり異なった風景なのだ。
地図を見てみたところ、紀勢本線に「広川ビーチ」という駅があるのを発見。
平成になってからできた駅らしい。
行ってみた。
駅から18分、発電用の巨大な風車が回る山を左右に見ながら歩き、西広海岸という所にたどりつく。
シーズンオフだったこともあって、本当に人がいなかった。
でも対岸に島が見えて、景色は美しい。
気候は夏そのもので、往復歩くとかなり疲れたが、駅に隣接した物産センター「ふれあい館」で食事休憩できた。
さらに2人は、泉水の居場所の手がかりを求めて、博司と泉水が通っていた小学校へ。
この小学校がまた古い建物のようで、板張りの校舎に青い瓦屋根。
博司が小学生の頃は、まだ照明が裸電球だったというから相当なものだ。
木造校舎自体が珍しくなってしまった現代。
紀伊・東四国の範囲からは少し離れるが、愛媛県西予市、卯之町駅の近くにある米博物館へ行ってみた。
ここは宇和町小学校の旧校舎の一部。
長い廊下に面して12部屋の教室が並ぶ。
廊下の長さは何と109メートル。
この廊下で端から端まで雑巾がけを行なってタイムを競う「Z-1グランプリ」が毎年開催されており、テレビでもよく取り上げられる。
●時計台とその周辺とそこから見える景色と
同級生の園川が経営するバーは、駅南口の商店街にある。
似た雰囲気の景色として、南紀白浜温泉の飲食店街を撮ってみた。
温泉地らしく、通りの中に足湯があり、周囲には日帰り温泉施設も多い。
ホテルで1泊した博司たちは、留守番電話のメッセージを頼りに、かつて駆け落ちの待ち合わせをしていた時計台のある場所へ向かう。
そこは樫の木の生えた小高い丘で、1日3本のバスに乗れればいいが、徒歩で行くとかなりきつい坂を上るはめになるようだ。
丘の上は、傾斜のある芝生広場になっている。
紀伊半島で似た風景を探してみたところ、本州最南端の潮岬(しおのみさき)に、まさにそういう芝生広場があった。
段ボールをソリにして滑り降りる人はいなかったが、岩場の向こうに広がる太平洋を見に、訪れている人は多かった。
ただここは岬の突端なので、景色はきれいだが町は見えない。
丘からの眺望を再現するには、別の場所で写真を撮る必要がある。
街を一望できる高い場所ということで、まず和歌山城へ行ってみた。
標高48.9メートルの虎伏山の山頂に建つ大天守から、和歌山の街を眺めてみる。
もともとこの街自体が和歌山城を中心に発展したので、どちらを向いても大小の建物が遠くまで連なっている。
あくみ町は海と山に挟まれた、へちまに例えられるほどの細長い町なのだが、和歌山城から見える景色に、そういう個所は見当たらない。
次に、和歌山から南海フェリーで徳島へ移動。
阿波おどり会館から出ているロープウェイに乗って眉山の山頂へ行き、街並みを眺めてみた。
川に囲まれた市街地は、ひょうたんに例えられるそうだ。
ただしあくみ町とは違い、ひょうたんの外側にも市街地が広がっている。
確かに海と山に挟まれた土地だが、細長いという感じはしない。
徳島からの帰り道、ふと思いついて、源平の合戦で有名な屋島に立ち寄ってみた。
獅子の霊巌という場所からは、高松の市街地や、瀬戸内海の島々がきれいに見える。
目を下の方に転じると、屋島のふもとの風景が、まさに海と山に挟まれた、へちまのような細長い町。
線路は通っていないけど、意外な所にそれっぽい土地があったもんだ。
あくみ町の時計台の近くには、博司と菜々が雨宿りした、つぶれたドライブインがある。
重要なシーンの舞台なので、何としても写真で再現したいと思ったが、つぶれたドライブインなんて観光ガイドに載ってない。
事前に調べて目をつけた場所が、行ってみたら既に更地になっていて困った。
でも四国某所で、遂にそれっぽい建物を見つけたので撮影できた。
最後は時計台そのものの写真である。
時計台の外観は、かなり詳細に描写されている。
レンガ造りだが、そのレンガは塗装されている。
前の町長が建てたものだから、あまり古いものではない。
鐘があり、窓があり、どうやら窓ガラスもあるようだ。
......詳細に描写されすぎているがゆえに、当てはまる実在の建物が思い浮かばない。
意図的に実在の建物を想像させないようにしたのかもしれない。
紀伊半島だと、和歌山市のポルトヨーロッパの噴水広場前に、2本の時計塔がある。
いい雰囲気なのだが、独立した塔ではなくて、建物の一部になっている。
ヨーロッパ風の建物が並ぶ中にあってこその塔という感じ。
紀伊・東四国に限らなければ、建った経緯は富山県小矢部市にある一連のメルヘン建築に似ている。
行って写真を撮ろうとも思ったが、これらは学校とか公民館とかなので、時計台っぽい形をしていない。
ハウステンボスのドムトールンは、いかにも時計塔といった外観なのだが、105メートルもあり、あまりにも高すぎる。
埼玉県にある深谷駅はレンガ調の駅舎になっているが(かつてレンガの生産地で、東京駅にも深谷のレンガが使われたことをPRするため)、東京駅を模しているので横幅が広い。
三井アウトレットパーク横浜ベイサイドにも時計台っぽい建物があるが、白い。
そんな中、色は違うけど倉敷駅北口広場に建っているレンガのからくり時計が、かなりそれっぽいことに気づいた。
これに色を塗って大きな窓を開けて丘の上に建てたら、あくみ町の時計台になるような気がするのだが、どうだろうか?
●映像表現に頼らないゲーム
映像表現にあまり頼らないゲームは、「風のリグレット」以前にもいくつかあった。
例えば、主に文字によってストーリーが進む、チュンソフトの「サウンドノベル」シリーズ(「弟切草」「かまいたちの夜」など)。
ただ、文字表現と音声表現では、似ているようでもかなり雰囲気が異なる。
「風のリグレット」における、俳優さんの演技による微妙なニュアンスの表現や、背景の音による臨場感は、音声表現ならではといえよう。
それと、サウンドノベルには映像がまったくないわけではなくて、風景のグラフィックや、要所に効果的に入るビジュアルシーン、あと「かまいたちの夜」では人物のシルエットが表示される。
文章だけではなくて、映像や音もバランス良く使った演出が行なわれているのだ。
このほかには、音楽CDを使ったアドベンチャーゲームもいくつかあった。
「クエスティアン」(ワーナーミュージック・ジャパン)、「水の守護神(ガーディアン)」(コーエー)など。
CDのトラックをゲームブックのパラグラフのように扱っており、分岐点に来ると、「トラック○番へ進んでください」と指示される。
もっともこれらは、「風のリグレット」とはコンセプトが根本的に違う。
CDの最大収録時間74分という制限もあり、「クエスティアン」は声優によるドラマCDの延長線上にあるゲームといった感じだった。
一方「水の守護神」では、サイコロを用いた複雑な戦闘システムが採用されており、アドベンチャーゲームというよりテーブルトークRPGに近い。
1987年頃から、ゲームブックのシステムは複雑化の一途をたどっており、1993年発売の「水の守護神」にも、その影響が色濃く出ている。
●幻のゲームクリエイターが今、復活!
「風のリグレット」は1999年、ドリームキャストに移植された。
ドリームキャスト版では、ゲームの内容と関連しないイメージ写真を表示させることができる。
これ以降、他機種への移植はなく、続編も発売されていない。
「風のリグレット」はリアルサウンドシリーズの第1弾だったが、第2弾は「霧のオルゴール」というタイトルと、ホラーものであることが発表されていたにもかかわらず、とうとう発売されなかった。
もし発売されていれば、さらに「スパイランチ」というコメディを出す構想もあったようだ。
「風のリグレット」はマルチエンディングで、途中でどういう選択肢を選んだかによって、エンディングが5つに分かれる。
でもわたしは1回めのプレイでベストエンディングを引き当てたので、その後しばらく再プレイする気になれなかった。
普通のアドベンチャーゲームの場合、前のプレイで既に読んだ文章は早送りできる。
だがこのゲームは音声で進行するので、それができない。
つまり2回め以降のプレイでも、1回めと同じくらいの時間がかかってしまう上、1回聴いたくだりを延々と聞かざるを得なくなる(すべてストーリーが分かった上でもう1回聴くと、また違った印象があるのも確かだけど)。
画面にシーンごとのあらすじを表示して、プレイヤーが飛ばすかどうか選べるようにすれば解決する問題だが、それでは"音声のみで進行する"というコンセプトが崩れてしまう。
プレイのしやすさを多少犠牲にしてでも、意地でも画面を使わないという、飯野氏のこだわりを感じた。
もう12年も前のゲームだが、グラフィックがないので、今プレイしても古さを感じなかった。
まあ、地下鉄が営団地下鉄だったり、携帯ではなくて電話ボックスから電話をかけたりという描写はあるが、今でも十分通用する斬新さを持つ上に、プレイヤーの心を揺さぶることのできるゲームだと思う。
まだプレイしたことのない方は、ぜひ一度やってみてほしい、ところだが......。
セガサターンとドリームキャストのゲームは、現役のゲーム機ではプレイできない。
ドリームキャストは最近まで新作ソフトがリリースされていたので、現役といえないこともないが、本体そのものの製造が終了している上、「風のリグレット」のソフトも手に入れづらい。
16ビット以前のゲーム機やニンテンドウ64なら、Wiiのバーチャルコンソールがあるし、プレイステーションならゲームアーカイブスがある。
でもセガサターンとドリームキャストのソフトは、ダウンロードで手に入れられない。
飯野氏の作品のほとんどは、この2機種プラス3DOでしかリリースされておらず、入手しようと思ったら中古に頼るしかない。
1999年の「Dの食卓2」を最後に、長らくゲームを発表しなかったこともあり、飯野氏は"かつてゲーム界をにぎわせた、幻のゲームクリエイター"となっていった。
だが2008年、iPhone/iPod touch用に「newtonica」をリリースし、ゲームクリエイターとして復帰(「moon」「ちびロボ!」の西健一氏との共同開発)。
「newtonica」は2色に塗り分けられた球体を回して、飛んでくる2色の物体を、同じ色のエリアに接地させるゲーム。
これをモチーフにした音楽プレイヤー「newtonica player」や、ヒヨコをゴールまで誘導する「newtonica2」「newtonica2 resort」も登場している。
そして2009年には、遂に家庭用ゲーム機向けのゲームを発売した。
Wiiウェアの「きみとぼくと立体。
」(任天堂)である。
Wiiリモコンを振って、ぐらつくキューブの上にニンゲという生き物を乗せていくゲーム。
ニンゲは意思を持ち、動いてキューブのバランスを崩すことがあるので、新たなニンゲを乗せてバランスを取る必要がある。
やってみると、簡単な操作でユニークなプレイ感覚を味わえる。
ニンゲの動きもさまざまで、ほかのニンゲを救おうとすることすらある。
飯野氏にはこれからもこのまま、新感覚のゲームをどんどん作り続けてほしいと思う。
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最終更新:11月30日17時53分
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